小石原のやきものを訪ねて
鬼丸豊喜窯 / 翁明窯元
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COVERCHORD CULTURE

小石原のやきものを訪ねて
鬼丸豊喜窯 / 翁明窯元

江戸時代前期1600年代の開窯以来、福岡の山里で作り続けられ、日々の暮らしに寄り添う日用品として全国に広く親しまれるやきもの「小石原焼」。

その特徴は小石原の地で採取される陶土からなる素朴な質感と、「飛び鉋」や「刷毛目」など、硬い金属の羽や刷毛などを用い文様を入れる伝統技法。

今回COVERCHORDは、日用の美「小石原焼」の魅力を探るべく、福岡県は東峰村の〈鬼丸豊喜窯〉と〈翁明窯元〉を訪ねた。
筑前最初のやきもの、「小石原焼」


民藝運動の父として知られる柳宗悦に「用の美の極致」とも言わしめた「小石原焼」は、1682年に黒田藩主に招かれた伊万里の投工の手で作陶されたことを起源とする、筑前最初のやきものだ。
開窯以来、日用の食器類など主に暮らしに寄り添う道具が作られ、その素朴な美しさから多くの人びとに親しまれている。

独特の伝統技法が生きるのも「小石原焼」の大きな特徴。"飛び鉋"、"刷毛目"と呼ばれる硬い金属のはねや刷毛などで、ろくろを回しながら整然と加飾された文様からは、モダンな佇まいを感じさせる。
「小石原焼」は、実用性と美を兼ね備えたやきものだ。



陶の里、小石原を訪ねて

福岡県東南部、標高1000m級の山々に囲まれた、小石原地区は、市内からクルマで1時間ほど。自然豊かなその土地は、平成の大合併を経て、現在「東峰村」となった。

50を超える窯元が集まるこの村では、多くの陶工や窯元が先人たちから脈々と受け継がれた伝統の技を継承しつつ、「小石原焼」の発展を願い、現代の生活様式や感性に寄り添う新しい作風の確立を模索している。

今回COVERCHORDは、数多ある窯元の中から、「鬼丸豊喜窯」と「翁明窯元」の2軒を訪ねた。
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日本の原風景がのどかに広がる小石原地区。
陶器に適した粘土と窯の燃料となる木々に恵まれた
豊かな自然が、
この地に小石原焼の文化を根付かせた。
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綺麗な水にも恵まれる小石原は農業も盛んだ。


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変わらない、純小石原のやきもの
鬼丸豊喜窯


それぞれの窯が個性を押し出してゆく中で、先人たちから脈々と受け継いできた伝統と技術を継承するべく、誠実に向き合い続ける陶工がいる。〈鬼丸豊喜窯(おにまるとよきがま)〉の窯主、鬼丸豊喜氏だ。

この地に生まれ、幼少よりやきものの文化に慣れ親しんできた同氏は、高校卒業とともに陶芸家・太田哲三氏に師事。
3年の修行を経て1982年に開窯。以来約40年に渡り、真摯に作陶へ打ち込んできた。

土の香りが満ち満ちる工房内。
撮影には少しばかり照れ臭そうに優しい笑顔をこぼす豊喜氏だったが、ひとたび轆轤に向かうと、その姿からは心から作陶を愛し、文化を継承してゆくという職人の気骨を感じた。
どんなに熟練の陶工でも、作品の仕上がりは窯から出すまで分からないもの。長きに渡るキャリアの中でもそこに最大の面白みがあるという。

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土の香りが充満する工房内。親子横並びで轆轤に向かう。
陶器の原料となる赤土は近隣の山から採れたもの。

〈鬼丸豊喜窯〉は一家で経営されている。
多くの日本の伝統工芸が後継者不足に頭を抱える中、「小石原焼」には20代、30代の若者が多く従事している。2010年より豊喜氏に師事し、ゆくゆくは二代目として窯の未来を担う息子の希峰氏もその1人だ。組合の青年部では、窯元の枠を超えた勉強会や交流会など、横の繋がりがある。
希峰氏の持つ新しい感覚を大切にしながらも、豊喜氏自身が培ってきた技術と根底にある哲学はしっかりと継承されつつある。

大切にしていることを伺うと、短く「変わらないこと。作り続けること。」と答える豊喜氏。
インターネットの普及により、顔の見えない人びとへ自身のやきものが渡ることに少し戸惑うこともあるというが、どんな時代にあっても実直に自分の器作りを続けてゆくという軸が変わることはないだろう。
奇をてらうことはせず、職人として純小石原のやきものを作り続ける豊喜氏の器には、伝統的な作法に則っていながらも古びず、その凛とした佇まいには目を引く存在感がある。
個性とは付け足すものではなく、信念を持ちコツコツと続けてゆく中で研磨されてゆくものなのかもしれない。
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生乾きの器にたっぷりと白化粧を塗り、
轆轤を手でまわしながら、刷毛で加飾する
伝統的な細工の技法、「刷毛目(はけめ)」。
整然と刻まれた美しい文様は菊の花よう。
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生乾きの器にたっぷりと白化粧を塗り、
轆轤を手でまわしながら、刷毛で加飾する
伝統的な細工の技法、「刷毛目(はけめ)」。
整然と刻まれた美しい文様は菊の花よう。
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艶のある黒が美しい天然釉薬を施す。
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用途に合わせた大小様々なはけ。
長靴のゴムを加工した道具や、
自身の指で文様を刻むこともある。
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天日干しされる器たち。
小石原のいたる所で見られる光景だ。
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お孫さんの話になると、職人の顔から一変。
すっかり好好爺の表情に......
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鬼丸豊喜窯 / ONIMARU TOYOKI GAMA
Address_福岡県朝倉郡東峰村大字小石原900-2
Instagram_@toyokigama



鬼丸豊喜窯
のやきもの
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新たな「小石原」の伝統を
翁明窯元


1983年、鬼丸翁明氏によって開窯された〈翁明窯元(おうめいかまもと)〉。現在窯元の舵を切るのは二代目の鬼丸尚幸氏。
陶芸を生業とする父をすぐ側に見て育った尚幸氏は、ごく自然な流れで陶芸家を志すようになったという。

東京藝術大学に進学し見聞を広めた後、2009年、妻の晃子さんと共に小石原へ帰郷。外側にいたからこそ、再認識する「小石原焼」の魅力が沢山あるという同氏は〈翁明窯元〉の二代目として、その魅力を世界へ発信すべく日々創意工夫を凝らしている。

父・翁明氏から継承した伝統技術を踏襲しながら、まるで北欧クラフトのような洗練されたデザインを陶器へと落とし込み、若い世代にも好評だ。
艶消しのしっとりとした質感が気持ちの良いアクセントを食卓に添えてくれる"翁明マット"や、鉄分を多く含んだ小石原の良質な陶土からなる風合いは、実用品としての目線と美的価値の両方を重視する現代のライフスタイルに無理なくフィットする、まさに用の美を体現した日用品だ。
「ここ10年で明らかに小石原焼の認知度は上がってきたように感じます。前まではこれは小鹿田焼ですか?なんて言われていたけれど......笑」

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轆轤に向かう尚幸氏。
粘度の高い土が次第に手に馴染んでゆく様は、
まるで生命を手懐けているかのよう。
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「小石原焼」の代名詞とも言える
伝統技法"飛び鉋"。
轆轤を回転させながら生乾きの器に
一瞬で削り模様を入れる、熟練の技を要す加工技術だ。
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「小石原焼」の代名詞とも言える
伝統技法"飛び鉋"。
轆轤を回転させながら生乾きの器に
一瞬で削り模様を入れる、熟練の技を要す加工技術だ。
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"かんな"は機械式時計の
ゼンマイ部分を加工して作られる。


より多くの人の手へ、より多くの人の暮らしへ「小石原焼」を届けるべく、〈翁明窯元〉では土から出品まで、家族とスタッフで全作業の分業を徹底しているという。
工程ごとに専属の職人をつけることで、品質に一切妥協することなく、素早い作陶サイクルを実現する姿には、様式の美学を感じる。

青白磁の作家として個展を開くなど、日頃から多くのインプットを欠かさないという尚幸氏。外部から持ち帰った学びを自身の作風へと昇華し、新たな「小石原焼」の伝統として後世へと継承してゆく使命感。
そして、自らの技術を一層磨き上げる気概を、父・翁明氏への畏敬の念から学んだ。
「父とは技術の熟練度が明らかに違います。動作は遅いのに、仕上がりの速度が段違いに早い。まだまだこれからです。」

どんな時代にあっても、変わらず人びとの生活に寄り添う器を楽しんでもらうために、〈翁明窯元〉は変化を止めないだろう。
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3人体制でテンポよく釉薬がけをし、窯へと運び込む。
釉薬は珪石、石灰石、天然灰を主軸として
無限のブレンドがある。
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窯のサイズに合わせ高く高く積み上げられた器たち。
器同士が触れあわぬよう、
時間をかけ綿密に窯入れ作業が行われる。
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翁明窯元 / OUMEI KAMAMOTO
Address_福岡県朝倉郡東峰村小石原1126-1
Instagram_@oumei_kamamoto



翁明窯元
のやきもの
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